自転車と学び
三男は、今年保育園の年長さんです。お兄ちゃんの真似が大好きで、なんでも同じようにしないとすぐすねます。ほっておくと、5分に1回ぐらい次男とケンカをしています。よくしゃべり、黙っているのはご飯を食べているときか、寝ている時だけ。写真を撮ろうとすると、変顔しかしてくれません。
そんな三男が、「自転車に乗りたい!」と突然言い出しました。おおそうか、と練習をはじめました。
まずはストライダー(ペダルなしの自転車のようなもの)で練習。足を地面から離しても安定するような感覚がなかなか手にはいらないんですよね。1週間ほど練習して、いよいよホンモノの自転車へ。最初は補助輪をつけて練習。何回かロード(といっても近所の道路です)で練習しましたが、どうも、補助輪の摩擦で自転車が変な方向に向かうので、思い切って補助輪を外しました。不安そうな三男。
アスファルトだと不安そうなので、グラウンドに行きました。私が横について背中をおし、スピードに乗せ、ペダルをこがせるも、1秒もしないうちにブレーキ。怖さが先にあるようです。「遠くを見て、思い切ってスピードにのると安定するんだよ。ずっと横にいるから大丈夫」と声をかけ、がんばれ、がんばれと励ましながら練習を続けました。何度も転び、服はどろだらけ。「いて~」といいながら、自転車を起こし、また練習。やっと5mほど自分で乗れた時、ガッツポーズをしていました。次の日の朝、私の体のいろんなところが痛かったのは、よしとしましょう。その笑顔に免じて。
今の学校における生徒たちの状況も似ているのではないでしょうか。
自分で学ばねばならない、この特殊な状況。子どもたちの学びに差が生まれていることは、様々な報道でなされています。
「自分で学ぶ」とはものすごくレベルが高いことを要求しています。
もうできている生徒は大丈夫です。その気になれば、どれだけでも学べる環境がある時代です。
でも、正直学ぶことが自分ではできない生徒が多いのではないでしょうか。
自転車に乗れるようになることと、子どもが学べるようになることは似ています。
まず、大人がどうやって練習をするのかを教える。
そして、なかなかできるようにならないので、できるまで側にいて励まし続ける。
最後に、手をはなしても乗れるようになったら、思いっきり喜ぶ。
一度、自転車に乗れるようになったら、ずっと大丈夫。
「学ぶ」ということを学ぶのも同じ構造だと思います。